こんにちは、こめです。

私は歌の歌詞の意味を考えるのがとても好きで、いつも短編小説を見てるような気持ちで聴いているのですこしでもこれが伝わればと思います。

 

今回は、私の好きな歌から価値観や人生について、悩んでる方々へ何かの助けになればと思いメッセージを書きます。

 

歌のタイトル

「言って」 ヨルシカ

 

このブログを読む方は、だれか大事な人がいなくなってしまったりする体験をしたことがありますでしょうか?

 

この歌の始まりは、「言って、あのね、私実は気づいてるのほら、君がいったこと。あまり考えたいと思えなくて忘れてたんだけど」

この段階では、主人公がだれかと会話しているようなことを言っています。何か忘れたいことが起きて、そのことを言って欲しかったという会話ですね。

 

ここから、歌詞は、「盲目的に盲動的に妄想的に生きて、衝動的な焦燥的な消極的なままじゃだめだったんだ」

意味は、目をそらして何も考えず妄想の中に生き、ときに思いつきで、でもそれが意味ないように思えて、もういいやってなる。それがだめだったと思っている。

 

このあたりから、それほどまでに感情を揺り動かされる出来事が起こったことが予想できる。では、このよほどの出来事とは何だったのか?

それが次から示されます。

 

「きっと、人生最後の日を前に思うのだろう 全部、全部言い足りなくて惜しいけど。あぁ、いつか人生最後の日君がいないことを、もっと、もっと、もっと、もっと、ちゃんと言って」

 

この歌詞から何が起きたか想像つくかと思います。

この主人公は、大切な誰かがいなくなったことを受け入れられないのです。

 

想像してみてください、人生最後の日にあなたは何を思いますか?

また、「自分の人生最後の日」と「残される人が人生最後を迎える日」

の2つを考えてみてほしいです。

つまり、この歌で言う主人公が大切にしていた人と残された主人公の最後の日です。

 

少々話は飛びます。

昨今、コロナの影響や中高生、なんなら小学生でもネットが普及していじめや嫌がらせによりつらい思いをしている人がとても多いかと思います。

もちろん、嫌がらせをする方が悪いです。が、やられた方もその傷をいやすための処置を自分で行ってやる必要があります。

 

今まさにそんな境遇にいる人はとてもつらいと思います。

私も他校に風評が伝わるほどのいじめや、パワハラなどでつらい時期を過ごしたことがあります。

つらいときほどこの、「自分の人生最後の日」と「残される人が人生最後を迎える日」について考えてみてほしいです。

 

多分ですが、自分の人生最後の日はどうでもいいですかね?
でも、自分の人生最後の日っていつですかね?

今日ですかね?明日ですかね?それとも悪いことが始まった過去ですかね?

人生最後の日に言いたいことは言えて最期を迎えられそうですか?

まあ、どうでもいいか。

 

でも、残される人が人生最後を迎える日を想像してください。

それは、親かもしれないし、兄弟かもしれない。恋人かもしれない。友達かもしれない。はたまた、近所の人か、ネットで会った顔も知らない親切な人か。

人の死って自分が思う以上に深く心にのこるものです。それが、知り合いならなおさら。残された人って、その人と生前に行った場所、話したこと、性格とかをふとした時に思い出すんですよ。あ、あいつと来た場所だな。似た話したな。とか。

つまり、何をするにもよぎる瞬間があるんです。

 

ということは、残された人が最期を迎える、つまり、あなたと同じ日を迎える日、大事にしていた人なら当然あなたのことを考えます。

想像してください。その人があなたとお別れして、何年後に最期を迎えるでしょうか。そのうち、何日、何時間あなたのことがよぎるときがあるでしょうか。それって、どれだけ大きな影響でしょうか。その間に、どれだけあなたに言いたいこと、問いたいことができるでしょうか。

この心情をうたったのが、この「言って」って歌です。

 

伝えたくてもつたえられないんです。青い空も、夜の雲が高いのも。あの駅のホームで待ち合わせをすることも。

いなくなったことをわかりたいけど、死んでも心に残っているようにかんじるんだよ。牡丹は散っても花だし。夏が去っても追慕は切に思うんです。

 

ここまで想像ができたのだとしたら、自分が自らいなくなるという判断に至るでしょうか?どうでもいいことでしょうか?

本当に自分に存在価値がないと思うでしょうか?残される人は、あなたがいないと伝えることも、言いたいことを言うこともできない、必要なんですよ。

 

残された人のこのどうしようもないけど、受け入れるしかないというもどかしい気持ちを想像しながら、言ってをきいていただけると痛烈に胸に刺さると思います。

いなくなることを選択するくらいなら、1人でもいい。こんなに思ってくれる人に対していえること言ってほしいことを聞く時間を作ってあげた方がいい人生になると思います。それに比べて、自分の人生において、いじめてきたりする人のことを恨んだり考える時間ってなんの意味がありますか?

私は、まったくないと思います。

仕事や学校をそこまでして頑張る意味ってなにがありますか?

 

自分にとって大切な人や大切なことへ時間を精いっぱい使えるように、この言っての主人公のような人が減るように、人生を謳歌する人が増えますよう切に願います。

 

長いあいだ、このブログを読んでいただきありがとうございました。

今後も、今回のような歌を題材にした内容を書くと思います。

よろしくお願いします。

 

下記、iTunesより。

言って。

言って。

  • ヨルシカ
  • ロック
  • ¥204
  • provided courtesy of iTunes

下記、YouTubeのMVです。初見の時、しびれました。どうぞ。


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