歌#3 「世界線YOUTH」Phatmans after school

こんにちは、こめです。

 

仕事に忙殺され、期間がかなり空いてしまいました(-_-;)

今回は、歌を題材とした内容#3になります。

 

曲のタイトルは、「世界線YOUTH」でPhatmans after school(現saji)になります。

 

この歌は、タイトルのYOUTHも表現している通り、若者とか青春とかをうたった歌です。

この話を聞いて、「ああ、どうせ青春恋愛とか楽しい思い出とかの歌だろ」と思った方。違います。

この歌は、「青春をしている若者に対して、大人目線で懐古まじりにアドバイスという体の後悔をうたう歌」です。

 

歌は、「昨日が今日へ続いてく、そんな日常のループ。変わり映えしなくてもう、毎日つまんないや。誰か僕らを違うとこへ連れってって。平凡だった今日を幸せと思えるような場所へ。」とはじまります。

皆さん、こんな風に思ったことないですか?

仕事仕事の毎日、同じ時間、同じ道のり、同じ職場で働き、同じ時間につかれながら帰る。そんな日々ではないですか?学生なら、それが部活とかクラスですかね。

 

ここで、「世界なんて不確かな方法論でしかない。君にしかできないことがたくさん待ってるんだ」ときます。不確かな方法論って、すごく的を射てませんか?手際よくお金を稼ぐ方法、受験で勝ち抜く方法、安定した人生を送れる方法、試合で勝てる方法。うーん、人って十人十色っていうように、同じ人なんていないっていうのは誰もが信じて疑わないですよね?まして、今の世の中、個人を尊重するというような風潮ありますよね。なのに、なんで不確かな方法論ってあるんですかね?方法論って、統計をとっておおよそあたりやすいやりかたを言ってるだけですね。なぜなら、十人十色なわけで、その人に適切な方法なんてのは、自分じゃないと結局のところわからないのだから。

不確かなっていうのは、そういうことだと思います。

だからこそ!君にしかできないことがたくさんあるんです。

僕はこの言葉がとても好きです。

これは、この歌のメインメッセージのひとつです。この、何かに出会えて、世界が自分のものになったような感じ、広がったような感じ、青春期の新しいものに出会ったときの感覚やできることが増えたときの視界が開ける感じですよね。

 

もう一つのメッセージは、サビの最後「今しかできないことを、大切にしてゆこう。今しか言えない言葉、大事にするんだ全部」です。

今しかできないこと、今しか言えないことがどれほど大事なのか。今を生きる当事者にはなかなかわからないですよね。

僕も、学生の時の過ごし方とかやっておいたら良かったこと、言っとけばよかったことたくさんあります。

それが大事だってこと、大体過ぎてから気づくんですよね。でも勇気でなかったんですよね。

 

この歌のメッセージ2つとも、とても大事な価値観の1つだと思います。

 

今、学生でいじめを受けている人いますか?今、会社で仕事に忙殺されているひといますか?今、自殺を考えている人いますか?

 

この歌、聞いてみてください。最初は聞き流しでいいです。気が向いたら、歌詞の一部でいいので意識を傾けてみてください。

 

自分の境遇に重なる部分ないですか?

 

「人生は一度、時間は不可逆」です。

 

学生のみんな、今の若いうちにできること、すべてのことは若いうちだからその時期ならではの感じ方ができるんですよ。なぜなら、今の自分は今しかいないから。

つらい体験、境遇にいるみんな。今は今しかない。あたりまえですよね。

当たり前だけど、認識できてますか?

 

そこで、たぶんですけど、わかったようなこと言う人がまあいますよね。例えば、親、同級生、先輩、などなど。

その人たちが、なぜ自分の先のことなんてわかるんですかね。それこそ、「不確かな方法論」を振りかざしてる状況じゃないですか?

大体の人はそうだ、みんなそうだ、あの子はそうだ。

私がどうかという意見ですか?

違ったとするなら、まあ聞く必要はあまりないですね。参考情報として頭の片隅に置いとけばいいですよ。なんなら、ガン無視でもいい。

 

今は今しかないので、自分のできることを考えた方がよくないですか?

 

もちろん、若いときって、自分だけではどうしようもないこととかあると思う。だけど、できないことばかり考えるより、全速力で無心で、できることをやってみるのもよくないですか。

だって、今しかできないし、今やらないともうできないかもしれないですよ。

こう考えると、いじめに対して委縮し続けるとか、仕事に忙殺し続けられるとか、自殺を考えて悩み続けるとか、今の時間がもったいなく感じれたらもう大丈夫ですね。

 

そうなれたら、学校辞めればいいし、職場変えるとか、今の環境全部捨てるとか、できるくね?って思わないかな?

 

今を後悔しないように、世界に自分しかできないこと、できることはたくさんあるんだよ。

 

僕は、こんな風にいいことばかりをいう歌じゃなくて、しっかり後悔や負の部分を見せながらも希望を見出せるような考え方をうたうこの歌が好きです。

いつもこの歌を聴くと自分のやりたいことをやれるように頑張ろう。って思います。

 

以上、今回僕がこの歌「世界線YOUTH」by Phatmans after schoolから伝えたい価値観でした。

 

長い文章を読んでいただきありがとうございます。

ぜひ、聞いてみてください。

 

今を大事に、今しかできない、言えないことを大事に。

 

こめ

 

下記、iTunesにて、興味ある方どうぞ

世界線YOUTH

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お題:風立ちぬ ジブリより

話したいこと:選ぶってなんだろう

 

前回のつづきになります。

3.好きなこと と「仕事」か「私的幸せ」を選ぶこと

風立ちぬの主人公「次郎」は、菜穂子に惚れ、大切にしていました。しかし、それと同じくらい飛行機にも惚れていました。

飛行機に惚れているがゆえに、仕事も飛行機の設計士でした。つまり、仕事=私的幸せだしそれと同じくらい 私的幸せ=菜穂子 ということですね。作中では、菜穂子が臨終のときも次郎は飛行機の設計をしています。個人的な、次郎だけの幸せである飛行機設計の方に最後は注力したということです。では、その判断はよかったのか、悪かったのかという議論に一般的になるのかと思います。

ここで、おそらくまともな人ならどっちも正解、いい悪いなんてないというようなことを誰でも言うかと思います。

うん。たしかに、人それぞれ、いろんな環境、考え方、生き方があるからそうかもしれない。でも、浅い考えでみんなが言っているようなことをさも正しいというような風に考えないでほしいです。

 

「自分で選ぶということは、前提を仮定し、目標を仮定して、可能性を想像することだと思います。」

 

仕事と私的幸せを選ぶ、最近は、終身雇用がなくなるとかいう話もあり、重要な誰もが当たるテーマだと思います。

そのとき、おそらくほとんどの人が真っ先に考えるのが、目標だと思います。金持ちになりたい、有名になりたい、etc.。それだけだったら、ただの妄想だと思います。みんなが忘れがちなのが、前提です。今、どういう状況か、今のままから始めて達成できる目標なのか、なにか準備をしないとできないのか。この判断をしたのは、どういう前提で考えた前提か?金は?設備は?環境は?。これを整理したうえで、道を考えます。険しいけど最短の道、長いけど確実な道、長いし険しい道、短いし簡単な道、変わるかの性のある道。まずは、それらを自覚してふわっと理解することです。そうすると、これはないな。あれ、いけるかもって道が見えると思います。ここまで来たら、詳しーーーく調べる時期です。

何かを得るのに、難しいほど時間も労力もかかるものです。簡単に何かを得られるもの、たとえば、くじ、もらいものとか、は、当然もらえるに越したことはないですよ。でも、運だし、一過性でそれをいかせないとなにも自分のプラスになりません。

ならば、長い目で自分の幸せを考えると、自分で道を考えるのが重要ということです。

 

他人は、自分の置かれている前提条件なんて知りません。知っていると思っている人でも、自分自身の気持ちという前提条件まで知る由もありません。つまり、自分で前提からやりたいことを考えるということが、その人にとって正解になります。だからと言って、人の意見を聞く価値がないと言っているわけではないです。人は、客観的に自分のことを見ているので、自分の思っていた前提が少し周りから見るとずれている、ということに気づけます。考えを補正する材料として使えるということです。

ここまで、自分の中だけで完結できる考え方です。

 

ここからは、他人とのかかわりが要る考え方です。

冒頭に、次郎が菜穂子の臨終に飛行機設計をしていたことがいいのか悪いのかという話をしました。人によっては、冷たいやつ、初志貫徹のすごいやつ、悲しい選択をするやつなどいろんな意見があるかと思います。

ここで、なぜ意見が割れるのでしょう?性格が違うから?

そんな浅い理由じゃないと私は思います。

理由は、「それぞれ意見を言うときの前提が違うから」だと思います。

ここでも前提という言葉が出ました。それでは、僕がこう思う理由を例を用いて伝えていきます。

例①:(次郎が菜穂子よりも飛行機だと思っている前提)臨終の菜穂子がいるが、飛行機設計をした

例②:(次郎が菜穂子に飛行機設計の仕事を応援されている前提)臨終の菜穂子がいるが、飛行機設計をした

例③:(次郎が菜穂子に大泣きで別れを告げた時間があった前提)臨終の菜穂子がいるが、飛行機設計をした

 

どう思いますか?()以降はすべて言っていることはおなじですが、前提が違うとここまで感じ方が違うことが分かったかと思います。つまり、人の意見はそれを言った前提となる考え方を知らないと、その人と自分の考えの前提がずれていた場合、意見が合わない、こいつとは性格が合わないとかいう短絡的な考えに至ってしまうと思います。

まあ、そもそもその前提をいうのが面倒なんですけどね。だから、誤解をされたくないときはしっかり自分も前提から話をしないとずれますね。

つまり、次郎がこの選択をしたのがいいのか悪いのか、これは前提がわからないので答えはなく、いろんな前提を仮定して楽しむのがいいですね。

 

これらのお話をふまえて、仕事か私的幸せか何が正解なんでしょう?

もうわかりますよね。

一人ひとり前提が違います。なので、人がどうだから自分はこうあるべきだなんて考える必要ないし、それはその人の前提にあうモデルなだけで、自分に合うかわかりません。一般大衆に向けて、さも正しいかのように言っている偉そうな人の話も、確率の話で大体の人には当てはまるようなことをさも正しいことかのように吹聴しているだけです。だから、盲目的に話を信じるのではなく、調べましょう。自分の前提は何か考えましょう。

そうすることで、自分にとって何が最も今大事なことなのかを見つけられるようになると思います。

 

 

以上が、風立ちぬを通して私が伝えたかったことです。

長い文章をみてくださりありがとうございました。

 

また、何か漫画や歌を通して、今の自分の人生や生き方に悩みを持つ方に何かヒントを届けられるように活動を少しづつですが続けていけたらなと思います。

 

よろしくお願いします。

kome3

 

お題:風立ちぬ ジブリより

話したいこと:選ぶってなんだろう

 

こんばんは、こめです。

今回は、ジブリ作品より「風立ちぬ」から、「選ぶ」という行為について、作品中に出てくる”仕事”と”私的幸せ”にフォーカスしてお話ししたいと思います。

 

1.風立ちぬとは

第一次世界大戦関東大震災など激動の1900年代初~中期の話。次郎(主人公)が、夢である飛行機の設計の仕事につき没頭していく。地震の災禍のなか、偶然泊まった宿でのちの妻菜穂子に出会う。戦争が激化する中も次郎は失敗を繰り返しながらも飛行機の設計にのめりこんでいく。ある日、菜穂子が病に侵され残り僅かな命となる。心配をしつつも、次郎は仕事をやり遂げようとする。菜穂子は末期、最後の力を振り絞り、立つことも苦しい中自力で歩き、次郎との結婚式を挙げる。その後、妻に対する悲しみを持ちつつも、次郎は夢であった人生最高の機体「零戦」を完成させ、物語は終わる。

 

2.選ぶ(好きなことを探すとは)

このブログを読む人の中には、今好きなことを仕事にしている人、好きなことを探している人、好きなことを趣味にしている人、好きなことなんてないよって人、そもそも好きなことってどういうことって思う人色々いるかと思います。

まずは、好きなことを探すという行動についてお話したいと思います。

昔は野球・サッカー選手になる、大企業に就職する、公務員になるというようなことが間違いない「良い」選択だというような時代でした。しかし、今やネットやメディアなど情報にあふれ、実力主義のような風潮が少しあったりして、「道・選択肢はいっぱいある。自分でそこから好きなことを探して選ぶんだ。それがそれぞれにとって良い道だ。」というようなことを声高にいう様子をみますね。

たしかに、自分の好きなことが決まってて、何がいいかっていうことがなんとなく感じれて、たまたま目指す姿の例のような人が近くにいる人にとっては住みやすくなってきた世の中だと思います。

しかし、まだ好きなことがないとか、好きなことのイメージがつかないという人は、いかだもないまま大海原に放り出された気分でないでしょうか。

僕はこう思うので、こんな声高に言う内容をどこか無責任なネグレクトじゃないかなと感じてしまいます。

 

だから、僕は、「好きなことを探す考え方」はこういうやり方もあるよということを伝えたいです。

 

まずは、「好き」って何か。僕は、

きづいたらやっているもの。

あこがれているもの。

人より少しでも得意なもの。

ほかのなによりも少しだけ長くできるもの。

やらされたけどできる、続けられるもの。

なのかなと思っています。

上の3つは誰でもいうようなことだと思います。主人公の次郎もこれに該当すると思います。僕は、下2つについてあまりみんなしない考え方じゃないかなと思います。

たとえば、勉強、スポーツ、読書は5分しかできないけど、テレビ見るのは6分できるとします。これって、何かテレビに対して1分ながく続けれる理由がありますよね。そうしたら、それがドラマなのかニュースなのかアニメなのかで考えてみますか。ドラマとニュースは6分で飽きるけど、アニメは7分見れるとかになる。アニメも6分ならまんべんなく見れるってことですね。では、何に興味があってみたのか、しゃべり方?画像?絵?撮影方法?場所?音?なんでしょう。このように考えると1つはこの中だとこれかなぁっていうものが見つかると思います。それが、好きなものかもしれませんね。

もう一つ、やらされることってありますよね。勉強、家事、買い物、習い事。やらされることって、大体嫌ですけど。もしその中でやり切れた、続けられたことあります?

嫌なのにできるってどういうことでしょうかね。ほんとに心から嫌いですか?親とか先生が嫌いなだけで、その行動自体嫌いではないってことないですか?

 

少しでも今回の話がきっかけで、次郎や菜穂子のように好きなことを見つけられる人が増えれば、大海原に自分で強い船を作り出す人が多くなることを願います。

 

ちょっと、長くなりすぎたので、いったんここまでにしたいと思います。

続きは、下の内容でのお話です。

3.好きなこと と「仕事」か「私的幸せ」を選ぶこと

つづく

 

ここまで、読んでいただきありがとうございました。

よければ続きのブログもみてください。

 

 

 

こんにちは、こめです。

 

今回は、歌を題材とした内容#2になります。

これまで、重い話をしていたので、たまには優しい気持ちになれるような内容にしていこうと思います。

 

お話しする歌は、MONKEY MAJIK さんの「Together」という歌です。

 

この歌は、私が思春期に入って感情があちこち行くような時期に出会い、この曲を聴くととても穏やかになれたような寝るときにぴったりの曲です。

 

Togetherは日本語で、一緒にとかともにという意味の英語です。

 

曲の冒頭、

「もしこの背中に翼があったら、今すぐ君に届けたいあふれだす幸せを。そよぐ風に乗り、光輝く未来をtogetherいつまでも」

 

ここで、とてもやさしさにあふれるフレーズがあると思います。それは、君に届けたいあふれだす幸せを です。

ものを届けるでもなく、会いたいでもなく、連れ出したいでもなく、です。

ただただ、君が僕に何かをするとか、僕が何かを得るとかではなく、幸せだけを君に届けたい。

 

なぜ、このような気持ちになったかをこのあと歌われています。

昔、僕は振り返ることもなく人生を突き進むように過ごしていました。そんなさなか、”キミ”に出会います。そのときの出会いは、It's a miracle「奇跡」だと心の深い場所では感じていました。しかし、表面の感情には、振り返らず進んでいる自分が「孤独である」ことを信じたくないという思いがありました。

 

あれ?じゃあ、”キミ”という存在は忘れられてるの?

いいえ。これは、決して忘れているわけではなくて、振り返ることをせず(できず)、理由は何もかも早すぎて変わりすぎてです。

 

思春期に差し掛かるときって、周りは精神的にも身体的にもとても速いスピードで変わっていきます。そして、自分自身もたとえば新しく中学校、高校にはいって環境が、友達が、勉強がかわったりできることがとても増えていきます。

そんなときって、とてもおいていかれそうな不安に駆られるし、変化に追いつかないと、順応しないとって、あせりませんか?

僕は、とても焦って虚勢を張って、不安になっていました。

 

そう、このときは振り返れなかったのです。

でも、Now i've opened my heart. I can't wait to hold you in my arms. 今は、心はすでに開いていて、腕の中に抱きしめるのを待ちきれない。 っていう気持ちなんです。

つまり、めちゃくちゃその当時、優しく寄り添ってくれたこと、自分が一人じゃないと信じてくれたことを感謝しているのです。

覚えてるに決まってるじゃないですか。

このとき、自分が心を開けなかったことも、今も昔もわかってるんですよね。

 

この記事を読む方の中には、お子さんや教え子を持つ方、後輩を持つ方がいらっしゃると思います。

子供だから、数年だけの付き合いだから、という考えで寄り添ったり向き合ったりできてないなんてことないですかね。

何か直接的に力になることができない問題を抱えているかもしれない、どうにもならんことかもしれないですね。しかし、そんなときに近くにいるっていうことだけでも、当事者は表面には表すことができないかもしれないけど、間違いなく記憶に残るんですよね。

とても、それはそれは暖かくそよぐ風のようにまぶしい光のように心を包んでくれるものです。

 

僕も、当時はここまで考える想像力も知識も経験もなかったけれど、今ならなんとかこれくらいには理解できるようになりました。

今、思春期や心の余裕がない人たちにぜひ聞いてほしい。

そして、自分の周りで寄り添ってくれる人がいるならば、この歌を思い出してほしい。

光り輝く優しい風が吹いていないか一瞬でいい、振り返ってほしい。

奇跡だったんだって気づくのは、過ぎた後だから。

 

後悔をしている大人たち、このやさしさをそよぐ風に乗せて幸せの一部を届けてあげるようにしてほしい。心に届かなくても包んであげればいい。

 

そうして、優しい気持ちを持つ人が一人でも多く増えること、幸せを知らない人が一人でも多く減ることを願います。

 

 

長い文章を読んでいただき、ありがとうございました。

現在、MONKEY MAJIK  TogetherでyoutubeにMVも出ております。

そちらもチェックいただけると幸いです。

 

こめ

 

下記、iTunesより。気になる方はどうぞ。

Together

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下記、YouTubeでのMVです。


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こんにちは、こめです。

私は歌の歌詞の意味を考えるのがとても好きで、いつも短編小説を見てるような気持ちで聴いているのですこしでもこれが伝わればと思います。

 

今回は、私の好きな歌から価値観や人生について、悩んでる方々へ何かの助けになればと思いメッセージを書きます。

 

歌のタイトル

「言って」 ヨルシカ

 

このブログを読む方は、だれか大事な人がいなくなってしまったりする体験をしたことがありますでしょうか?

 

この歌の始まりは、「言って、あのね、私実は気づいてるのほら、君がいったこと。あまり考えたいと思えなくて忘れてたんだけど」

この段階では、主人公がだれかと会話しているようなことを言っています。何か忘れたいことが起きて、そのことを言って欲しかったという会話ですね。

 

ここから、歌詞は、「盲目的に盲動的に妄想的に生きて、衝動的な焦燥的な消極的なままじゃだめだったんだ」

意味は、目をそらして何も考えず妄想の中に生き、ときに思いつきで、でもそれが意味ないように思えて、もういいやってなる。それがだめだったと思っている。

 

このあたりから、それほどまでに感情を揺り動かされる出来事が起こったことが予想できる。では、このよほどの出来事とは何だったのか?

それが次から示されます。

 

「きっと、人生最後の日を前に思うのだろう 全部、全部言い足りなくて惜しいけど。あぁ、いつか人生最後の日君がいないことを、もっと、もっと、もっと、もっと、ちゃんと言って」

 

この歌詞から何が起きたか想像つくかと思います。

この主人公は、大切な誰かがいなくなったことを受け入れられないのです。

 

想像してみてください、人生最後の日にあなたは何を思いますか?

また、「自分の人生最後の日」と「残される人が人生最後を迎える日」

の2つを考えてみてほしいです。

つまり、この歌で言う主人公が大切にしていた人と残された主人公の最後の日です。

 

少々話は飛びます。

昨今、コロナの影響や中高生、なんなら小学生でもネットが普及していじめや嫌がらせによりつらい思いをしている人がとても多いかと思います。

もちろん、嫌がらせをする方が悪いです。が、やられた方もその傷をいやすための処置を自分で行ってやる必要があります。

 

今まさにそんな境遇にいる人はとてもつらいと思います。

私も他校に風評が伝わるほどのいじめや、パワハラなどでつらい時期を過ごしたことがあります。

つらいときほどこの、「自分の人生最後の日」と「残される人が人生最後を迎える日」について考えてみてほしいです。

 

多分ですが、自分の人生最後の日はどうでもいいですかね?
でも、自分の人生最後の日っていつですかね?

今日ですかね?明日ですかね?それとも悪いことが始まった過去ですかね?

人生最後の日に言いたいことは言えて最期を迎えられそうですか?

まあ、どうでもいいか。

 

でも、残される人が人生最後を迎える日を想像してください。

それは、親かもしれないし、兄弟かもしれない。恋人かもしれない。友達かもしれない。はたまた、近所の人か、ネットで会った顔も知らない親切な人か。

人の死って自分が思う以上に深く心にのこるものです。それが、知り合いならなおさら。残された人って、その人と生前に行った場所、話したこと、性格とかをふとした時に思い出すんですよ。あ、あいつと来た場所だな。似た話したな。とか。

つまり、何をするにもよぎる瞬間があるんです。

 

ということは、残された人が最期を迎える、つまり、あなたと同じ日を迎える日、大事にしていた人なら当然あなたのことを考えます。

想像してください。その人があなたとお別れして、何年後に最期を迎えるでしょうか。そのうち、何日、何時間あなたのことがよぎるときがあるでしょうか。それって、どれだけ大きな影響でしょうか。その間に、どれだけあなたに言いたいこと、問いたいことができるでしょうか。

この心情をうたったのが、この「言って」って歌です。

 

伝えたくてもつたえられないんです。青い空も、夜の雲が高いのも。あの駅のホームで待ち合わせをすることも。

いなくなったことをわかりたいけど、死んでも心に残っているようにかんじるんだよ。牡丹は散っても花だし。夏が去っても追慕は切に思うんです。

 

ここまで想像ができたのだとしたら、自分が自らいなくなるという判断に至るでしょうか?どうでもいいことでしょうか?

本当に自分に存在価値がないと思うでしょうか?残される人は、あなたがいないと伝えることも、言いたいことを言うこともできない、必要なんですよ。

 

残された人のこのどうしようもないけど、受け入れるしかないというもどかしい気持ちを想像しながら、言ってをきいていただけると痛烈に胸に刺さると思います。

いなくなることを選択するくらいなら、1人でもいい。こんなに思ってくれる人に対していえること言ってほしいことを聞く時間を作ってあげた方がいい人生になると思います。それに比べて、自分の人生において、いじめてきたりする人のことを恨んだり考える時間ってなんの意味がありますか?

私は、まったくないと思います。

仕事や学校をそこまでして頑張る意味ってなにがありますか?

 

自分にとって大切な人や大切なことへ時間を精いっぱい使えるように、この言っての主人公のような人が減るように、人生を謳歌する人が増えますよう切に願います。

 

長いあいだ、このブログを読んでいただきありがとうございました。

今後も、今回のような歌を題材にした内容を書くと思います。

よろしくお願いします。

 

下記、iTunesより。

言って。

言って。

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下記、YouTubeのMVです。初見の時、しびれました。どうぞ。


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はじめに、これが初めてのブログ更新になります。

自己紹介にも書いているのですが、私は日本や世界すべての人に人生を笑って過ごしてもらえるようにしたいです。つらいこと愚痴悩みでよくありそうなことを中心に解決に役立ちそうなお題や意見を述べて、ときには議論もしながらいい方向に進む役に立ちたいと思っています。つたない文ですが、小さい子~大人すべての人に向けて伝わるようになれば幸いです。(漢字はすいません。漢字の方が思いが伝わるので。)

 

今回のタイトル:人生の山場に出会ったときどうしますか

 

人生には、山にぶちあたるときが、なんどもあると思います。

たとえば、スポーツで勝てなくなるとか、人間関係でうまくいかない、いじめられるなどなど。そんなときに、どう感じてどう行動するかは、さまざまな環境や境遇、性格によってどうにもならずひとつの道になってしまうときがあるかもしれません。

自分の周りをかえることは、とてもむずかしいです。なぜなら、ひとくちにまわりといっても、たとえば住むところ、立場、友人A、友人B、先生A、Bなどなど多くのものがつながって今の自分の周りをつくってしまっているからです。
「じゃあ、どうしたらいいんだよ」

となるかと思います。

では、逆に簡単に変えられることは何でしょう?

「自分」です。

 

今回は、「自分」をどのように変えていくとよいだろうかという一つの例を紹介したいと思います。

私には、人生観をかえられて、本気で自分を見つめる機会を与えてくれた漫画があります。

漫画名:【宇宙兄弟

という漫画です。

 

この漫画のあらすじは、宇宙飛行士を目指す性格のまったく異なる兄弟が、挫折や事故、時には運がいいことなど起きながら大人として成長していく漫画です。

 

少しネタバレですが、私がすきな話があります。

子供のころ、兄:ムッタと弟:ヒビトは、弟を兄が常に先を歩んで引っ張るという関係性でした。ムッタはなんでも「楽勝!」といいながら挑戦する好奇心旺盛な性格。しかし、大人になっていくにつれて、ムッタは勝算のないことはなにか理由をつけてあきらめるようになっていく。対して、ヒビトは信念を曲げずに宇宙飛行士を目指し続けていった。そんな兄ムッタは、大人になり仕事で挫折をし、無気力人間になります。そんななか、ふと子供のころから英語を教えてくれていた天文学者シャロン博士を訪ねます。そこで、昔話をしていたムッタはふとシャロンに「昔あなたがよく言ってた言葉おぼえてる?」ときかれ、答えにつまります。

その言葉とは、「It's a piece of cake」楽勝だ!という意味です。

ここで、ムッタは自分が知らず知らずのうちに理由をつけてあきらめる癖がついてしまったことを自覚します。ここからムッタは吹っ切れたようにかつての夢である宇宙飛行士を目指し始まるという話です。

 

この話から、何か問題とか行き詰った時、一度昔の自分とそのときの描いていた人生・夢を思い出し、今はどうなのか、どんな経緯でこうなったのかを考えることの大切さを私は学びました。振り返ることで、あれ?実はうまくいかなかったのって、こういうこと?って見当がついたりします。また、It's a piece of cakeといつも言っているということで、常にとてもとても小さなこと、例えばいろんな楽器を1回使ってみるとかで、小さな経験で得た考え方をここぞというときにつかえる道具になります。

 

言いたいことを言うまで、長かったですが宇宙兄弟のことも知ってほしかったので、ぜひ。

今回は、振り返りの重要性と問題や山にぶちあったてる本人って意外と自分のこと見えてないよってこと、すごいちっさなことでいいからやってみるってことが地味にあとあと効いてくるよってこと。3つ。

 

おわりに、これからもいろんな題材をもとに自分の考え方とか議論材料をブログに挙げていけたらと思います。

ここまで読んでいただいた方本当にありがとうございます。